「忘れる」ことで他人に寛容になれる

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photo by pakutaso.com

作家の雨宮処凛が、『ビッグイシュー日本版』で「世界の当事者になる」というコラムを執筆している。

2014年3月1日発行の『ビッグイシュー日本版(234号)』では「『女は40から!』に一票」をテーマに執筆しているが、私は女性ではないにも関わらず、共感する部分がいくつもあり頷くばかりであった。

雨宮は、今年1月末に39歳の誕生日を迎えた。雨宮自身、10代、20代を「若さゆえの“生きづらさ”を感じていた」と振りかえっており、30代になればその“生きづらさ”が緩和されるのではと考え、「早く30代になりたかった」そうだ。そして、30代になってからは「いろいろと楽になった」と語っている。

その理由として、

  • 若さゆえの変な「こだわり」や妙なプライドの高さから解放された。
  • 「自分は正当に評価されていない」という被害妄想が薄れた。
  • 20代で種を撒いてきたことが、少しずつ形になり始めた。
  • 忘れっぽくなった。

この4つを挙げている。

中でも、最後の「忘れっぽくなった」については、「自分が忘れっぽくなったおかげで、他人に対してだいぶ【寛容】になれた気がする。他人の間違いや失敗を、ずいぶん笑って許せるようになった」とし、その理由を「自分自身が毎日ものすごい勢いで記憶を失っているのだから、人のことなど言える立場ではない」としている。私がこのコラムで一番共感したのは、この「忘れっぽくなった」ことにより「他人に寛容になれた」という部分である。

私の10代、20代も、雨宮のそれとはまた違う「若さゆえの息苦しさ」を感じていて、それは上手く言葉としては表現できないのだけれども、心のどこかに靄がかかったような、すっきりしない生き方をしていた。引きこもり、ニート、親との喧嘩など、一般社会から「不適合」の烙印を押されるような生活で、そのくせ自分には厳しく徹することができず、他人の粗ばかりを探し、それを理由にして自己を正当化させ、余計に自分を甘やかす……という連続だったように思う。

一方で、「今のままじゃダメだ」と焦りながらも、現実として何もできない自分の能力の低さ、無能さに絶望するというジレンマも感じており、これはコラムで雨宮が書いている「これまでは、生きることは苦行に近く、常に何かに急かされ、1日に一度は『このままじゃダメだ』と全身に冷や汗をかくような焦燥感に襲われていた」という言葉どおりの心境であった。(雨宮には文才があったので、私のような無能ではないのだが)

私が、こうした息苦しさからじょじょに解放されてきたのが30代前半に入ってからだった。私は他人に対して強く当たることができないので、例え他人の失敗や間違い、あるいは間違いとまでは言えなくても、自分の中の“基準”から外れたことをする人間に対して、「まあ良いんじゃないですかねー」と顔ではヘラヘラ笑って、心の中では「馬鹿野郎、何やってんだよ」とイライラを募らせるという、相手にとっても自分にとっても常にストレスが掛かるような生き方をしてきた、まさに「無能な完璧主義者」であった。それは、他人に対して寛容になれず、かといって他人の間違いを正すような“厳しさ”でもない、自分基準の勝手な感情でしかないものだったが、30代に入って、この考え方というか、感情がじょじょに薄れてくるようになった。

この変化は、30代に入って「記憶力が落ちた」「芸能人の名前などを咄嗟に思い出せなくなってきた」と自覚するようになってきたころと重なる。私は記憶力だけは良かったので、「さまざまなことを記憶に留めなければ」という、ある種の強迫観念みたいなものを持っていて、「忘れる」ことや「思い出せない」ことは「ダメ」なことだと頑なに考えていたのだが、その「忘れる」「思い出せない」といった欠点、その他30代に入ってから現れてきた数々の自らの欠点について、「まあいいか」と認めるようになってから、他人の間違いや失敗を笑って許せるようになってきたように思う。「自分の欠点に対して寛容になったことで、他人の欠点に対しても寛容になれた」ということだろうか。

雨宮は、これから突入する40代という領域に対して、「気持ちは少し複雑。この国は『女は若くてナンボ』と価値観が蔓延っており、若くないということだけで後ろめたさを抱えて生きていかなければならないような空気がある」と語る。いかにも雨宮らしい表現だが、しかし39歳の誕生日に、ある人から「女は40から!それからがおもしろくなるよ!」という言葉を送られてから、40代になるのが楽しみで仕方なくなったそうだ。

40代からおもしろくなるのは、何も女性だけではない。男だって、きっと40代からおもしろくなるに違いない。だって、今の30代の時点でさえ、10代、20代では気付かなかった「自分の中身の変化」がはっきりと分かるのだから。もし、自分が40代に突入してまだ生きているならば、そのとき「自分の中身」に一体どのような変化が起きているのか。これ以上忘れっぽくなってしまうと少し怖い気もするが、それ以上に他人に寛容になることができていれば、それはそれで良いのかもしれない。これから齢を重ねることが、とても楽しみであり、またおもしろそうである。

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