自分の人生にイスは一つで十分

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今日の職場の懇親会で、「自分の人生に座るイスは一つあれば十分」みたいな話をして、一緒に飲んでいた人たちから「意味が分からん」と言われて、慌ててその意味を説明したんだけど、何だか有耶無耶になったまま終わってしまってちょっと悔いが残りました。

この言葉の由来については懇親会の席では明確にしなかったのだけど、ここでぶっちゃけると『必殺仕置人』の21話で中村主水が悪人に向かって言う、「そして一生かかってじっくりと考えろ。人間というのは自分一人座る場所が有れば十分なんだとな。」というセリフに由来します。

僕は、この言葉は必殺由来の言葉ではなくて、恐らく外国の話であったりとか、誰かの詩集からヒントを得たものだと思っています*1。「イスの座り方」という話になったので、咄嗟にイスと結びつけましたが、「自分一人座る場所=イスの置き場所」と解釈もできるので、間違いではないと思います(自己弁護)。

僕は、主水のセリフの中でもこのセリフが好きで、しかもかなり重いセリフだと思っています。恐らく、大半の人は実家、あるいは賃貸なりで暮らしていると思いますが、その暮らしている場所こそ、自分の心が満たされくつろげる「自分一人座る場所」だと言えます。

自分の座る場所を確保するために、みんな一生懸命になっています。その一方で、それがあることが当たり前のように思っている人が多いと思います。しかし、長い人生において、誰かからその「座る場所」を奪い取る、または奪い取られる場合もあるでしょう。また、座る場所を追い立てられたり、失ってから見付けられないまま毎日を過ごす人もいます。「自分一人(が)座る場所(イス)」というのは本当に大切なものであり、自分がその場で人生を全うすることこそ、とても重要なことだと思うのです。

「イスの座り方」という部分からこういう話になりました。このことを話した上司は、恐らく「姿勢」とか「行儀」という部分を言いたかったのでしょうが、僕が勝手に拡大解釈をしてしまったのかもしれませんね。しかし、行儀の悪い座り方をしたり、「自分が座るイス」を大切にしない人は、きっと自分の生きる場所そのものを大事にしない人なのかもなー、なんて勝手に考えています。

人生や会社のサバイバル要素を「イス取りゲーム」と例えている場合が多いですね。でも、誰かから奪い取ってまで自分のイスを増やす必要はないと思います。イスは一つで十分だと思います。そして、自分一人が安心して座れるイスは、大事に守らないといけないよ。座り方(=生き方)も気を付けてね、というお話でした。

*1:もし、脚本家の鴨井達比古氏によるものであれば、失礼の段お詫び申し上げます。

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